2日目は、昨年7月5日に世界遺産登録された「軍艦島」へ渡島しました。
軍艦島とは
幅160m、長さ480m。東京ドームのグラウンドおよそ5個分という小さな島ながら、最盛期には5,200人もの人々が住み、東京の9倍を超える人口密度は世界一とも言われました。
軍艦島の半分は鉱場なので居住地がとても狭いためか、大正5年に日本初の鉄筋コンクリート造りの高層集合住宅である30号棟が建築されて以来、次々と高層アパートが建設されました。
また、採掘技術の発達とともに島のまわりを拡張。塀がぐるりと島を取り囲み、高層アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれることになりました。
小中学校のほか共同販売所、映画館や料理屋、娯楽場、病院など最先端の技術と都市機能を持つ炭鉱都市として栄えましたが、国のエネルギー転換政策を受けて昭和49年に閉山。
すべての島民が島を去ることになりました。
話には聞いていましたが、「明治日本の産業革命遺産」の一部として、世界文化遺産に登録された「軍艦島」を目の当たりにして、戦後の日本を支えてきた人々の苦労を垣間見ることができました。
この軍艦島も年々老朽が激しく、今年みられるものが来年は見ることが叶わない場所もあるといいます。
守り伝えていくこと、言い伝えていくことが今の世代を生きる我々の責務だと思いますので、都合のつく方は見学をお勧めします。
その後、一路福岡県へ向かいました。
博多の祇園では、櫛田神社の例祭「博多祇園山笠」が行われていました。
「博多祇園山笠」 とは
その起源には諸説あると言われていますが、1241年に疫病除けの為に始められたという説が有力であり、この厄除け神事が同じく災厄除けの祇園信仰と結びついて発展したものだと言われています。この1241年を起源と考えても、770年以上の歴史を持つ由緒ある祭事。
博多の街を7つに分けて「流」と呼ばれるグループを作り、それぞれの街の山を舁いて駆け回り、櫛田神社までのタイムを競うというのが、この「博多祇園山笠」なのです。
700
年以上の伝統ある祭で櫛田神社に祀られている素盞鳴尊に対して奉納される祇園祭のひとつです。正式名称は「櫛田神社祇園大祭」。博多どんたくとともに博多を代表するお祭りです。
地域外の方には福岡市主催と間違われがちですが、櫛田神社の氏子たちが行う奉納行事であり地域住民の伝統的な町内行事です。
夜は博多の美味しいもつ鍋とイカ刺しを贅沢にいただきました。
ごちそうさまでした( ^)o(^ )
3日目は次回へ続く・・・
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