2016年7月19日火曜日

全国氏子青年協議会へ参加して③(稲積神社H28.7.9~11) 




 いよいよ帰省日の3日目。

本日は午後のフライトまで時間があったので「太宰府天満宮」へお参りに行ってきました。



「太宰府天満宮」とは
太宰府天満宮は、菅原道真すがわらのみちざね公の御墓所ごぼしょの上にご社殿を造営し、その御神霊おみたまを永久にお祀りしている神社です。 「学問・至誠しせい・厄除けの神様」として、日本全国はもとより広く世のご崇敬を集め、年間に約700万人の参拝者が訪れています。

久しぶりの太宰府天満宮のお参りでしたが、日本人以外の方の参拝が多く、まるで日本ではないようでしたが、例にもれず参拝して良い気をいただいてまいりました。

その後は一路空港へ向かい帰路へつくこととなりました。

全国より各神社にかかわる青年会の有志が集い、意思の疎通を図り、懇親を深める全国大会に、有意義に参加することができました。
これも神社にかかわる皆様のおかげと感謝しております。
今後も色々な経験をしながら切磋琢磨してまいりますのでよろしくお願いします。

※次は、6月・7月と続けて行ってきました「出雲大社 旅行記?」を掲載する予定です。

2016年7月18日月曜日

全国氏子青年協議会へ参加して②(稲積神社H28.7.9~11) 

2日目は、昨年7月5日に世界遺産登録された「軍艦島」へ渡島しました。


軍艦島とは
幅160m、長さ480m。東京ドームのグラウンドおよそ5個分という小さな島ながら、最盛期には5,200人もの人々が住み、東京の9倍を超える人口密度は世界一とも言われました。
軍艦島の半分は鉱場なので居住地がとても狭いためか、大正5年に日本初の鉄筋コンクリート造りの高層集合住宅である30号棟が建築されて以来、次々と高層アパートが建設されました。

また、採掘技術の発達とともに島のまわりを拡張。塀がぐるりと島を取り囲み、高層アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれることになりました。
小中学校のほか共同販売所、映画館や料理屋、娯楽場、病院など最先端の技術と都市機能を持つ炭鉱都市として栄えましたが、国のエネルギー転換政策を受けて昭和49年に閉山。
すべての島民が島を去ることになりました。







 話には聞いていましたが、「明治日本の産業革命遺産」の一部として、世界文化遺産に登録された「軍艦島」を目の当たりにして、戦後の日本を支えてきた人々の苦労を垣間見ることができました。

この軍艦島も年々老朽が激しく、今年みられるものが来年は見ることが叶わない場所もあるといいます。

守り伝えていくこと、言い伝えていくことが今の世代を生きる我々の責務だと思いますので、都合のつく方は見学をお勧めします。

その後、一路福岡県へ向かいました。





博多の祇園では、櫛田神社の例祭「博多祇園山笠」が行われていました。

「博多祇園山笠」 とは
その起源には諸説あると言われていますが、1241年に疫病除けの為に始められたという説が有力であり、この厄除け神事が同じく災厄除けの祇園信仰と結びついて発展したものだと言われています。この1241年を起源と考えても、770年以上の歴史を持つ由緒ある祭事。
博多の街を7つに分けて「流」と呼ばれるグループを作り、それぞれの街の山を舁いて駆け回り、櫛田神社までのタイムを競うというのが、この「博多祇園山笠」なのです。

700 年以上の伝統ある祭で櫛田神社に祀られている素盞鳴尊に対して奉納される祇園祭のひとつです。正式名称は「櫛田神社祇園大祭」。博多どんたくとともに博多を代表するお祭りです。
地域外の方には福岡市主催と間違われがちですが、櫛田神社の氏子たちが行う奉納行事であり地域住民の伝統的な町内行事です。





夜は博多の美味しいもつ鍋とイカ刺しを贅沢にいただきました。
ごちそうさまでした( ^)o(^ )

3日目は次回へ続く・・・





2016年7月17日日曜日

全国氏子青年協議会へ参加して①(稲積神社H28.7.9~11) 

神社本庁 田中恆清総長 「祝辞」
去る平成28年7月9日~11日。
「全国氏子青年協議会 第54回定期大会 長崎大会」へ、稲積神社崇敬青年会 鶴田副会長を始め総勢6名で参加してまいりました。

※山梨県氏子青年協議会としては、長潟会長を始め総勢10名の参加となりました。

稲積神社へ午前3:30に集合し一路長崎へ向け出発しました。





長崎では先ず「長崎くんち」で有名な諏訪神社を正式参拝しました。
「長崎くんち」は毎年10月7日・8日・9日に行われる長崎の氏神「諏訪神社」の秋季大祭。
寛永11年(1634年)、二人の遊女が諏訪神社神前に謡曲「小舞」を奉納したことが長崎くんちの始まりと言われています。
以来、長崎奉行の援助もあって年々盛んになり、さらに奉納踊には異国趣味のものが多く取り入れられ、江戸時代より豪華絢爛な祭礼として評判だったそうです。
この奉納踊は、国指定重要無形民俗文化財に指定されています。




今回は特別に懇親会のオープニングとして「長崎くんち 蛇の舞」を披露していただきました。
とても優美で迫力があり、当日でないと見られない蛇の舞を拝見できて得した気分でした!(^^)!

さて、話を元に戻します。

その後は
12:30~ 定期総会

13:45~ 定期大会
16:00~ 記念講演(櫻井よしこ氏)
19:00~ 懇親会
 と行われました。

2日目は次回に続く・・・

瘡子社例祭 (H28/7/15)

稲積神社 渡辺です。
7月15日11時より境内社、瘡子社の例祭が斎行されました。
天候に恵まれ晴れ晴れとした中での祭祀となりました。
 というか暑すぎる・・・皆様本当にこの猛暑の中御参列誠にありがとうございます。
瘡子社の神札を頒布しました。この神札は当社にて奉製したものです

例祭後は社殿にて7月の神恩感謝祭を斎行致しました。
夏越大祓の時にもご紹介いたしましたが社殿にはエアコン完備となりましたので涼しい中で神事が斎行できました。










2016年7月9日土曜日

御新田の稲

御神田の稲(H28/7/9)
稲積神社の渡辺です。
本日は朝からあいにくの天気です。雨が降っております。朝の掃除が大変でした~
さて、本日はこちら
 

今年の5月29日に境内にてお田植祭が斎行され今日まで雨にも負けず風にも負けずそして猛烈な炎天下にも負けず元気に育っている稲たちです。

だいぶ分けつも進み太く立派になってまいりました。
たくさんの稲穂に期待して私も負けずに頑張りたいものです。

2016年7月6日水曜日

平成28年稲積神社夏越大祓(H28/6/30)


稲積神社 権禰宜 渡辺です

平成28630日 稲積神社夏越大祓式が午後5時より境内祓所にて斎行致しました。





大祓式に奏上する大祓詞は参集者に向かって「祝詞をよく聞け」と呼びかけこれに「おう」と称唯(いしょう)して答えるのに始まり、天孫降臨からの日本神話、罪穢の種類の列挙、そしてその祓い方と、その後祓戸大神によりどのように罪穢が消えていくかを言い聞かせる内容となっています。このように、大祓は、これらすでに起きてしまった災厄をリセットして今年の後半を清らかにお過ごしいただく神事です。

ちの輪神事



正面から最初に左回り、次に右回りと 8 字を描いて計3回くぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うというものである。かつては茅の輪の小さいものを腰につけたり首にかけたとされる。これは、『釈日本紀逸文の『備後国風土記』にもある蘇民将来の伝説に由来するもので、武塔神の指示により茅の輪を腰につけたところ災厄から免れ、武塔神は自らを速須佐雄と名乗り去っていったと書かれている。

 ちの輪神事に続き社殿にて萬灯祭を斎行しました。社殿内は2日前に工事が完了しエアコンが完備しました。

外の暑さからひんやり開放~これからの暑い時期には欠かせません!